山際澄夫のホームページ

松下徳太郎さんの4回目の現地訪問記 8月20、21日

山際様
おはようございます。日曜(21日)のPM:9:30に無事帰宅しました。
今回は仙台の渡邉 恭様から箪笥をお預かりする約束がありましたので、仙台で高速を降り、
渡邉様のお父様のお宅で箪笥をお預かりしました。
 その後、渋谷で集まったときに話題になりました「松音寺さん」を見てみようと思い立ち、
仙台市内を松音寺さんに向かいました。途中、造成地が崩れていたり、ビルの倒壊での通行止め、
屋根に張られたブルーシートなど散見し、ここも被災地なんだなぁ・・・と改めて感じた次第です。
「松音寺さん」はかなり立派なお寺でした。立派なと言うと、大きなお寺を想像しますが、
ここで言う立派は、大きさではなく、肩が軽くなるような感じを受けるお寺さんだった・・・ということです。
 もちろん、境内や本堂なども立派で、お話でも伺おうと思っていたのですが、法事が営まれていたようなので、
お参りだけで済ませました。
ただ、境内にある燈籠が倒れていたり、駐車場に割れた瓦が集められていたのを見て、
このお寺さんも被災したのだということを実感しました。
今回は事前に野田さんや廣瀬さんと打ち合わせをしておりましたので、松音寺さんを出た後は
旧入谷中学校仮設住宅に直行です。
入谷公民館入り口を目印に急な坂道を登った所が入谷の仮設で、私が着いた時は既に皆さんが世話人さんの
Tさんと談笑しておられました。
 しばしの談笑と写真の撮影の後、私と廣瀬さんは歌津のAさん宅へ、野田さんは志津川中学校で孤立?
しているという猫の救出後に歌津の世話人さん宅へ、ということになりました。
 野田さんがレポートに書いておられた通り、歌津では世話人さんに大変お世話になってしまい、
心苦しい限りでしたが、色々とお話ができて有意義な時間を過ごさせていただきました。
 その晩、私は志津川中学校の仮設住宅のOさん宅でお世話になり、翌日は「観洋ホテル避難所」世話人のKさん兄弟に
物資を届け、ついでに小森地区仮設住宅への引越しのお手伝いをさせていただくことにしました。
小森地区仮設住宅は入谷地区と志津川地区の中間にあり、細くて急な坂道を登った所に位置します。
「おいおい、こんな所に仮設かよ・・・」というのが実感でした。

  〈年寄に過酷な仮設住宅〉
 さて、まずは仮設住宅の考察です。今回、志津川中学校仮設、入谷仮設、小森仮設の3ヶ所にお邪魔し、
中を拝見することができました。3箇所の仮設住宅は間取りなどの主要規格は同じと思われるものの、
設計や施工の程度はそれぞれバラバラで、「いくらなんでも、こりゃねぇだろう・・・」という雑な造りの地区もあり、
関東などで将来起こりうるであろう災害の時のために設計や施工方法の統一をするべきと感じました。
 それと仮設住宅にお邪魔してみて強く感じたのは、仮設の入居にあたり、入居者の生活状態があまり反映されていない
ということです。
入谷地区と小森地区の仮設へは国道からかなり奥まった所に位置し、しかも急な坂道を登らなくては行く事ができません。
こんな仮設に足腰の弱った高齢者や病気の方、自動車などの移動手段を持たない高齢者が当選してしまった場合、
仮設から出るに出られない状況になってしまいます。
おまけに抽選にあたっては、いままで住んでいた地区の横の繋がりはまったく考慮されませんので、
最悪の場合、隣近所はまったく知らない人ばかり、ということになります。
 一旦、仮設に入居してしまうと、他の仮設の人と交代ということは考えられませんから、
これまでの町当局の仮設に関する施策は失敗であったというしかありません。
日本は毎年のように災害に見舞われ、何年かに一度は仮設住宅が必要になるような事態が発生します。
今後は今回の失敗を教訓に、高齢者や移動手段のない方々を優先的に病院などの施設に近い所や坂道などの
急所が少ない地区の仮設に入居できるように法整備をしていく必要があると感じました。
 さらに今後は出来の良い仮設住宅地区はともかく、そうでない地区の仮設住宅は防寒対策が必要です。
今は夏の季節でまったく問題にはなりませんが、厳しい東北の冬を考えると雑な造りの仮設地区では
今から冬の対策を考えておく必要がありそうです。たとえば、コタツやホットカーペットの支援の準備です。
ニュースでもエアコンの効かない仮設が話題となっていますが、これは裏を返せば暖房の効かない仮設ということになります。

 〈遅い南三陸町の復旧・復興〉 
 4回目の南三陸町の印象は写真を見ていただければおわかりのように、「だいぶスッキリしたなぁ・・・」というもので、
先月には何もなかった志津川中学校の下にコンビニが出来ていたり、前回はテントで営業していたコンビニが
プレハブに変わっていました。とはいうものの、ベイサイドアリーナの周辺を除いてコンビニ以外の店舗は見当たらず、
一歩奥に入ると景色は前月とほとんど変っていない状態で、町が設営した仮設の商店街が営業を始めていると
伝えられる他の町との差の原因はどこにあるのか?と考えさせられました。南三陸町のホームページ等を見ると
様々な行事が実行されたり予定されているようですが、「へそ曲がり」の松下さんからすると
「行事よりも地道な行政の実行」の方が長期的に見て復興に繋がるように思えました。

 〈漁師という職業〉
 今回、先月に続いて歌津の阿部さん宅にお邪魔して、大変お世話になった訳ですが、今回も大変有難いお話を伺うことができました。
私は神奈川で納豆製造を生業としておりますが、当然の事ながら、いままで漁師さんという仕事とはまったく
接点がありませんでした。一見、あまり関連が無いというか、まったく畑違いの感がありますが、
お話を伺ってみると「なるほど!」ということもあり、楽しい時間を過ごさせていただきました。
 前回のリポートで、一領具足という言葉を使いましたが、今回は「旗印」という言葉が浮かびました。日本の船はほとんどが「○○丸」という名前を付けられています。
Aさんの船は「福洋丸」です。我々にとっては「○○丸」はただの船の名前です。ところが例えば
Aさんにとっての「福洋丸」は自分の船の名前だけではなく、自分の旗印であり、ブランドである
ことを教えていただきました。
タコやツブ貝を水揚げし、仲買の方の前に出す時は自分たちで選別して「福洋丸」と書いたカゴに入れて出す。
仲買の方は「福洋丸」の名前を信じて買う。

 <特区は疑問>
 カゴの金属部分は錆びないステンレスのものを用い、くわえタバコでは作業をしない、質の落ちるものは入れない、
等など「福洋丸」の名前を汚すような真似はしない。昔の武士に通じるものがあり、我々も漁師さんも同じではないか!
と感心してしまいました。このような考え方の漁師さん達を特区という殻に押し込めてしまって良いものか?
大きな疑問が湧いてきます。
 都会ではお金さえ出せば、新鮮?なものが手に入ります。魚、野菜など様々です。しかしながら、
それらは生産する方々の努力の積み重ねの上に成り立っています。効率や打算だけを優先して騒いでいる人達・・・
ひっょとしたら、頭がぶっ壊れちまっているのではなかろうか?
また懲りずに行ってしまうであろう自分の頭はこんな人達から見るとぶっ壊れているように見えるのかもしれません。
今回、箪笥を支援していただいた仙台の渡邉さんをはじめ、南三陸町の方々には大変お世話になりました。
支援する側がお世話になってはいけないのですが、また懲りずに行った時はまたお世話になってしまいますので、
よろしくお願いいたします。

          ◇

また蛇足であります。
3/11の時、Aさんは息子さんが入院しておられる病院に午後、見舞いに行かれる予定だったそうです。
ところが息子さんから「今日はこなくてもいい」と連絡があったため取りやめにしたそうです。
もし、見舞いに行っていたら確実に流されてしまったとのことです。
 これまで4回現地に行き、色々な方々のお話を伺ったわけですが、運というか何というか?そんなものを感じます。
野田さんのリポートにもありましたが、やはり何かに守られているということがあるのだと思います。
今日、テレビで占いのコマーシャルが流れていました。「何かい?3/11は皆悪い運勢だったのかい???」
へそ曲がりの松下さんの口からは、こんな悪態が出てきました。

        ◇

山際さんの趣旨に賛同した方の数は500名とのことですが、志津川からの帰りに入谷の仮設に寄った時に
Tさんの妹さんと少し話をしました。
偶然、山際さんのサイトを見つけてクリックしたのが運のつき・・・と言った私に「縁」と言ってください・・・恐れいりました・・・
山際さん、責任重大ですぜ・・・


                                           松下徳太郎